ASIP氏がまた地雷を踏んだようで、コメント欄が荒れている。中の人たちがアツくなってるのを傍観するのは面白いなぁ。
ところで、関連して、羽生さんが面白いことを書いている。いわく、(「……」は引用にあたり省略)
マジョリティ……を受け入れるところが実はありそうでなくなってきているんじゃないかという感じを受けています。……APサーバベンダが標準準拠一番乗り合戦から降りてるんですね。……
んじゃ標準への対応ってのはどこがやってるのかというと、OSSに移管していってるんですね。
あー、なるほどねーと思った。標準への対応がOSSに移管。でもこれってなんだか、揺り戻しが来てるような感じがする。商用製品はもちろん差別化のために独自の付加価値を付けようとするのも理解できるんだけど、それに乗せられるのも、なんだかつまらない。それら「独自の付加価値」をインテグレートするのがシステムインテグレーターの役目か? そういうのってもう古いんじゃないのー、と思う。個人的には、アーキテクトとして、お客様のニーズにかなったシステムを作っていくほうに喜びを感じたい。
ああ、でもね>車輪の再生産<br>いきなり画期的なアイディアってのは出ないし、誰でも最初からすごいプログラムがきちんと書けるわけでもない。ってことを考えると、死屍累々のsourceforgeのことも含めて、画期的なアイディアが出るまでの/プログラミング技術を身につけるまでの修練の館みたいなものじゃないかと思うんだよね。<br>そのために、レベル低い車輪が1000個再生産された中から1つでもそれまでの概念をくつがえす車輪が1個でも生まれたらめっけものだし、かりにそこまで行かなくても従来の車輪より高性能なものが1個生まれるだけでも価値があると思うんだ。<br>で、残り999個の人たちができそこないの再発明を作ったことから得た知見や技術的な経験をもって「足掻いてる分野」に目を向ければそれでいいんじゃないかな。最初は派手なところに目が向いてもいいじゃん。
ああ、結論を書いてない……で、そういうリソースの浪費は業務では許容しがたいものではあるけれど(そこでとても保守的なアプローチを取ったりもするわけだし)、そういった浪費や回り道が許容されるのがOSSということじゃないかと思うわけです。
私もarton先生に同意です。車輪の再発明を行うことによって選択肢の幅が広がったり既存のプロダクトより優れたプロダクトが現れてくるように思います。
車輪の「再発明」と「再生産」では意味が違うと思います。
すんません誤読してました。「再生産」をしているプロジェクトが成長するかもしれない事を考えると存在価値もあるとは思うのですが。
再発明というのは、発明者がゼロから既存の発明品を知らずに作ることで、再生産というのは、生産者が既存のものに触発されて別の実装をすることですよね?<br>OSSの場合、どちらでも結果的には同じ(作った人の経験にはなるが、ほとんどの場合、他人は使わない)なので別に区別する必要があるとは思えませんが。(優れたアイディアマンが無用な発明に時間を浪費するのはダメということであれば、発明と生産では全然異なるけど、誰も最初の時点でその人が優れたアイディアマンかどうかは判断できないので、これも結果は同じと思います)
参加者、開発者には「リソースを無駄遣いする自由」があると思います。利益とか成果なんて出なくたって良いではありませんか。<br>「リソースを無駄遣いする自由」を奪いたければ、雇用契約を結んで給料を払って…みたいな流れになると思いますがそれはそれで、こう、いかがなものかと。
c#01で、僕が再生産(matobaaさんのエントリーと最初の引用部)と再発明(c#01の最後の文)をごっちゃに書いていることの御指摘かと思ったのですが、そういうわけではなかったのですね。
「再発明」は無駄だと思いますが、「再生産」は無駄ではないと思っています。<br>どちらも、他人からみれば「リソースの無駄遣い」と取れるとは思いますが、「再発明」については自力で発明するよりは学習した方がコストがかからないと思うので。<br>「再生産」は自分の手を動かしてこそ得られるモノもあると思うので、たとえ効率的ではなくても、他の手が足りていないところをやったほうが比較優位だとしても、再生産することには意味があるのではないかと思っています。
そうかなぁ? 「再発明」する人って、他人の成果を調べることにコスト意識を持つ人なんじゃないかな(発明したことないので推測に過ぎないけど。ただcat程度ならcatというコマンドの名前を調べるよりも発明するほうが早いというのは想像できます)。だからOSSについては「コスト」は考えてもしょうがないと思います。もちろん、企業活動としてのOSSということであれば、異なる見方がある(調べる担当者とかも置けるかも知れないし)とは思います。
catを発明、というのはどういうものかよく解りません。ストリームを端末に出力したい、というニーズがあったときにread()とwrite()があれば思いつきそうなので発明とは呼べないと思います。<br>私のバブルソートとかブレゼンハムとか陰影消去とかを「発明」してしまった経験からすると、あれはあれで勉強にはなったとは思うのですが今思うと、一人で考えてないで本でも読んでいた方が有意義だったのではないかと思えてなりません。<br>陰影消去のアルゴリズムを知って(教わって)、それを自分で実装、「再生産」するというのはアリだと思うのですが、それを自力で思いつこうとするのは無駄ではないかと。<br>また、無駄というのも見方にもよるのはおっしゃるとおりで個人の研鑚としては有意義でも企業活動としては無駄ということは充分にあります。